7/13(日)HKT48 アリーナツアー〜可愛い子にはもっと旅をさせよ〜/海の中道海浜公園(福岡県) D1 100番台

今更書くのでコンサートの詳細については触れないというか覚えていないというか、見えなかったのでなんにも書くことがない。ただ、そのときの雰囲気は残しておきたいし、何より今とても暇なので書くことにする。

<一幸舎の辛子高菜に気をつけろ>

高速バスを降り立った昼過ぎ。降水確率90%を超える予報の中、曇り空ではあるがなんとか持ちこたえている福岡の空。久しぶりの大箱でのコンサート、さらには野外。バスに乗り込む前に雨具を一通り買い、タオルやゴミ袋を鞄に詰め込んできて、多少雨に降られても大丈夫なようにしてきたとはいえ、なるべくならこのままでいて欲しい。そう思いながら私は腰を落ち着けるためタリーズ マイング店(こんな名前かはしらん)で珈琲を飲んだ。何しろ今日はスタンディング。さらに長丁場になることは間違いない。なるべくなら体力は温存しておきたい。同じようなことを考えていたのか、大きなキャリーケースを持った、完全なるヲタ集団も同じ店内におり、椅子を占領していてだいぶ気分悪かったが、運良く死角になる席が空いたのでそちらへ移動できたのでよかった。ゆっくり珈琲を飲む間に疲れも抜けたので、とりあえず腹ごしらえに。

シャカリキ!48の初回と二回目に咲良がバイトしていた一幸舎にてラーメンを食べることに。ヲタとはこうして食べるものさえアイドルに決めてもらえる、その幸せ。新幹線口の二階にある、麺通りはかなり混んでいて、どこも並んでいたが、私は迷うことなく一幸舎へ。前に並んでいたヲタはHKT全国ツアーグッズの鞄を提げていて、まあそうですよね、と思いながら食券を購入。ここで咲良が働いたのかぁ……。限りなく気持ちの悪い思いは胸の奥に隠しつつ、塩とんこつラーメンの食券を案内してくれたスタッフさんに渡す。麺は固めのオーダーをし、周囲を見回す。入店するときから気になっていた女子高生グループを右斜めの方向に認めて、さり気なく、夏ならではのイベント「カッターシャツからブラ線が透けている」が起こってはいないかとチェックしていたのだが、残念ながら透けてる子いなかったです。やがてラーメンが到着。メンバーがご飯を食べた(今回の場合は咲良がまかないのラーメンを食べた)店でご飯を食べるとき、そこのお店が割り箸でない場合、私のテンションは高まる。当然洗っている、洗っているが、もしかしたらメンバーが、咲良が、使ったかもしれない箸やレンゲでラーメンを食べるのだ!これが興奮せずにいられるだろうか!という胸中にたぎる思いをおくびにも出さずラーメンをすすっていたのだが、すぐに罰が下った。福岡のラーメン店は、自由にいれてね、みたいなノリでいろんなものがおいてある。高菜、紅しょうが、ゴマ、にんにくetc… その中にあった辛子高菜を私はラーメンを半分と少しほど食べた頃に投入したのだが、これが、激辛で、あのおいしかったラーメンが、唐辛子の粉っぽさに押されて、ただただ辛い食べ物に変身してしまったのだった。蓋には「激辛注意」というような文字が書かれていたのだが、私は完全に無視してしまった。涙目になりながらも、とりあえず完食をしたのだが、唇の腫れは当分消えることはなかったのだった。

<香椎での乗り換えに気をつけろ>

天神からシャトルバスが出ているのは知っていたが、お高いのでスルーして、博多駅から電車でいくことにした。Pasmoが使えたので、久しぶりにこれにチャージをしていざ、香椎へ。香椎から乗り換えるのだ。香椎は私が暮らしていた寮のある駅の隣にあり、飲み会でよく使ったりした思い出の街で、博多駅から香椎までの景色はそんなに変わっていなくてすごく懐かしかった。ただヲタ多すぎてくそ暑かった。香椎で乗り換えるときに思いっきりローカル線!って感じの電車になったのだが、車両が短すぎて、下りた階段からその車両にたどり着くまでに20mくらいあり、もうすぐ出発する気配にあわてて走り、なんとか乗り込む。雨は降っていないが、いつ降りだしてもおかしくはないような空模様で、薄グレーの雲がもたらす湿気が肌にまとわり付く。つまり、あちぃ。飛び込んだ車両についていた扇風機のうち一つが壊れていて、さらに、あちぃ。だが、私はそこに清涼剤のような可憐な女子高校生を発見したのだった。私とその子の間には二人組み(だったかな)のヲタがいて、その子は耳にイヤホンをつっこんで外をまっすぐ見て、ヲタを見ないようにしていたので、そのヲタを隠れ蓑にしながら、私はガン見。一つか二ついった駅で、ごちゃっとなったときに、その女の子がどこかへ消えてしまって、本当に悲しかった。悲しかったけれど、電車は海ノ中道へと走っていく。「コンサートに行かれる方は、海ノ中道駅ではなく、西戸崎駅で降りてください」というアナウンスが流れ、車窓は海辺をなぞる。やがて終点、西戸崎に到着。終着駅のようで、これ以上線路がない。砂利が積み上げられた小さめの山があって、その手前で終わっている、あるいは始まっている線路。渋谷駅の、東急東横線に初めて乗ったときもそうだったんだけど、なんでか知らないけど、私はこういうの大好きで、テンションがかなりあがる。眺めていたい気もしたけれど、ただの砂利の山と線路でしかないので、とりあえず改札をくぐる。海辺の駅によくあるように、ちいさな寂れた駅だったので、ICカードでくぐれる改札があるのかと心配になったけれど、なんかすごくコンパクトなやつがあったのでほっと息をついた。

<コンサート会場までのおおよそ2〜3kmの道のり>

改札を出て、最終電車のおおよその時間をチェックする。詳しく覚えていないのは、この時間なら余裕で間に合うだろうと思って軽く流してしまったからなのだが、これが後悔の一つに結びついていくことになろうとは、そのときの私にはわからないのだった。博多駅キヨスクで飲み物を買うことをスルーしたので、西戸崎駅を出てすぐにある自動販売機で飲み物を買うことに。汗をかきそうだと思ったので、なにやらミネラル分が含まれていそうな水っぽいものを買った記憶がある。この時点で並ぶ列が出来ていて、これから先の行列地獄を思って、ズンと一段と吸い込む空気の湿度が増したように思った。駅の敷地を出て、右へ。バブルの置き土産のようなマンションを横目にそのまま進むとすぐに海ノ中道の西門。入ったところにあるトイレで用を済ませて、そのまま道なりに進んでいく。歩く。歩く。陸橋を渡ると、開けた場所に出て、噴水の淵縁に座るヲタク、ヲタク同士で会話してるヲタク、生誕カードの呼びかけをしてるヲタクとさまざまなヲタクがいて、ようこそヲタクワールドといった感じだ。ようやく海ノ中道にきたんだ、と、暑さと遠さで下がりかけてきたテンションを無理やり奮い立たせる。入り口と思しきところの前には立て看板があり、そこには傘を持ち込まないでという注意書きが。傘持ってきた人どうすんだよ、持ってこなくてよかったなと思いつつ、チケットを見せ入り口を抜ける。道なり、いや、ヲタなりにどんどん進む。海ノ中道は広い。そして野外コンサート場がどこか私は知らない。広い。歩く。歩く。道路を渡っても歩く。すると、左手にバラ園、右手に幼女がその肢体を惜しげもなく晒して遊ぶ浅いプールという、まさにこの世の楽園が。いや、言い過ぎました。もう結構あるいてて歩き疲れててそれどころじゃなかったです。親御さんに警戒されない程度に見ながら歩いて、歩いて、ようやくたどり着いたヲタク列最後尾。荷物検査の場所がどこかわからなくて、自分がいま列のどのあたりにいるのかわからなかったが、とりあえず並んでいると、後ろに、mixiとかコミュとかSNSで知り合った、もしくは知り合いの知り合いくらいの距離感の男女のヲタ二人組みが並んで会話を展開。どういった会話をしていたのか覚えてないのだが、男の子がめちゃくちゃ気の利かないモテなさそうな返ししかできてなくて、だからヲタクなんだよ、と思ったことだけ覚えている性悪がこの私。そういった周囲にも助けられて(?)、なんだかわりと早く荷物チェックの場所まで辿り付けたように感じた。

<右か左か>

荷物チェックをするための受付は、右と左と二つにわかれていて、空いた方に行くように、ということだった。ちょうど私の前で左が空いたので私は左に行ったのだが、何にも考えずにしてしまったこの行動、わずか5分後には後悔することになる。まず、荷物チェックと金属探知機にかかる。それからチラシと団扇の入った袋を渡してくれる場所があった。いくつか連ねたテントの下で行われていて、左右両方にびっちりといるスタッフとひしめくヲタに辟易で、すぐ立ち去りたい、はやいとこ此処を抜けたい!という気持ちの私は、一生懸命優しくこちらにカッパを渡してくれる子のことも、飴を入れたカゴを掲げてこちらを窺うように見た子のことも結果的に無視してしまったのだった。飴くれた子がやたら優しかったなぁ、と振り返ったとき、私の視界に、私が通ってきたのとは別のルート、右のルートの出口の真ん中に立って同じようにカゴを掲げている子の後姿が飛び込んできた。衣装のこともあったけれど、その姿かたちで、瞬時に岡本さんだと気が付く。え、もしかして?そう思って、その先に目をやると、やはり同じようにヲタに配り物をする衣装姿の子たちが…!じゃあ、さっき私に優しくしてくれたのも、メンバーだったんだ!だからなんだ!なんでちゃんと見なかったんだろう!激しい後悔と共に一歩も動かずにその場で岡本さんをガン見する私。岡本さんは時々こちらを振り返ってくれて、笑顔を振りまく。うん、それでいいや。これでいいや。私はスタッフからの「その場で立ち止まらないでください!」という声に押されるようにその場を離れたのだった。

<関係者席に一番にたどり着いたご家族の正体>

荷物チェックのテントを抜け、まだその場にいたい、岡本さんを眺めていたい気持ちをしかりつけながら、ゆるい坂をのぼって、気付いたら109、ではなく、露天が軒を連ねる場所へ。そうか、野外だとこういうこともできるんだなと思いつつ、どこで食っていいのか、並ぶのも面倒だし、第一酒もないのに食えるかよと思って眺めるだけ眺めてスルー。一番最初の、チケットを見せたところで貰ったチラシをもう一度広げる。なるべくならなかったことにしたい、チラシ。それはステージとブロックの配置表であり、D1ブロックが最後方であることが記されていた。血も涙もない。会場に入ってみると、ところどころ剥げた芝生とぬかるんだ土と、ブロックごとに仕切られた柵が。これが秩序というものか。わざわざ山口くんだりからやってきて、まさか。D1ブロックに近付くにつれ遠のくステージ。「糞席魔人」という私の背負った十字架が私に重くのしかかる。オールスタンディングなのでどうやって指定席を作るのかと思っていたのだが、地面にテープというか紐みたいなのがひっぱってあって、それできっちり区画整理されていた。ひとまず自分の指定席(ともいいたくない)がどのあたりかを確認して、一番後ろ、立ち入り禁止の紐がひかれているギリギリ手前の芝生にビニールをひいて腰をかけ時間を潰すことにした。開演までまだ1時間以上もある。どうしたもんかと思っていると、突然始まる会場内放送。よくよく聴いてみると、海ノ中道限定のラジオ放送をいま生でしているとのことだった。こういうの本当ありがたい。なんて博多は優しいんだろう。会場に早く着きすぎてしまったこと、荷物チェックのときに右にいかなかったこと、D1ブロックの位置が思っていた通り一番後ろだったこと、それらで傷付いた私の心を少しだけ癒してくれるようだった。私が座っていたのは、ステージのセンターよりも少し下手よりだったのだけど、ちょうどセンターには、やぐらのようなものが組まれていて、その上と下とにカメラがおいてあり、間の空間は座席になっていた。パイプ椅子が50かもうちょっとくらいおいてあって、たぶん関係者席だなと思っていたら、ちょうどそこにやってきたご家族が。お父さん、お母さん、男の子、お婆ちゃんの四人だったかな。誰の家族なんだろうなぁ?と思って顔を見てたんだけど、少し距離があったのと、九州顔すぎて逆に誰の親御さんかわかりませんでした。碧唯ちゃんかなぁ?くらいには思ったけど(でも碧唯の家は三姉妹で男の子いないんだよね)。お父さんはめちゃくちゃ日焼けしてていかにもキャンプ命!みたいだったけど、どうだろうか。あと身長が小さかったかな。少しして後ろを通りかかったスタッフ二人組みが関係者席だ的なことを話してて、緩いなぁと思ったり。とにかくまだヲタでさえも全員入りきってないような早い時間から来てて、よっぽど楽しみなんだろうなぁと思って微笑ましくなりました。

<D1ブロックはこの世の果て>

この世の果てでした。

<虐げられるD1ブロック 1 >

終演するとすぐにスタッフさんから規制退場のアナウンス。それを無視して強行退場する人、コンサートの途中で抜ける人も多数いたけれど、D1ブロックの虐げられっぷりを体感してみて、それで正解だったと思う。私は博多に宿をおさえていたので、そんなに急いで帰る必要もなく、もう少しこの祭りの後のなんともいえない、侘しさを味わいたい思いもあって規制退場に従うつもりでいた。D1ブロックが出入り口から一番遠いのできっとD1かそれと似たような場所にあったC1だかC2から退場だろうとタカをくくっていた私、いや、D1ブロックにいたすべての人々の予想を裏切って、退場はなんと、A1からだという。A1なんておいしい思いした奴らしかいねぇだろうが!D1なんてジャージャーしかすることなかったんじゃい!という怒りの空気はだがすぐに収まり、代わりに、どうしようもないほどに疲れきった溜息がD1ブロックを満たした(ような気がした)。A1、A2、B1、B2。順番は忘れたがとにかくアリーナと呼ばれる場所にいた人々が続々と退場していく。けれど、その退場がスムーズだったかといえばそうでもない。一つのブロックごとに20分くらいは待たされたような気がする。疲れきっていたので余計に長く感じたのかもしれないが。そして呼ばれるC1、C2。もうここら辺になると若干仲間意識が芽生えているので、怒りは特に湧かない。あたりは撤収作業が進められ、忘れられた観客と化したDブロックの人々。D2が先に呼ばれたときのD1ブロックに立ち込めた空気をなんと呼べばいいのだろう。悲しみでもなく、怒りでもなく、諦め、なのか、なんなのか。ようやく呼ばれた私たちは、ゆるやかな丘陵を踏みしめ、まだまばゆい光を放つステージを見つめながら出口に向かって歩いた。闇よりも少しだけ薄い雲で覆われた夜に浮かび上がる幻の城のようなステージに主役はいない。観客もいない。祭りの終わりの終わりを実感しながら、少しだけ降った雨を含んだ芝生の生ぬるさを、スニーカー越しに感じていた。

<虐げられるD1ブロック 2 >

露天がまだやっていた。砂漠の真ん中においてけぼりにされてこれから自力で帰らなければならないウルトラクイズの敗退者のような私は、街に向かうその途中にオアシスを見つけたような気持ちに少しなった。少しオーバーだけれど。すぐに駅に向かったところで、どうせ人で溢れかえっているのは分かっていたので、露天でカキ氷を購入して食べることにした。変り種のシロップばかりで、ザクロも気になったが、シークァーサーを頼む。もう削ってあった氷を詰め込んで上からシロップをかけるというぞんざいなカキ氷だったが、なんだかすごく染みた。自分が湿気の塊になってるような蒸し暑さと、立ちっぱなしでガクガクになっていた膝の痛みがだいぶマシになった。またあの道を戻るのかと思うとぞっとしなかったが、カキ氷を食べ食べ進むと少しだけ気分も持ち直した。カキ氷すごい。そんなこんなで歩いていると、右手にシャトルバスの当日券売り場が。もう体力も限界だったので帰りはなんとしても座りたかった。電車のほうが安く帰れるのは分かっていたが、座れる確率が限りなく低い。渡りに船とばかりにシャトルバスで帰ることにする。が。これがよくなかった…のかもしれない。D1の時点でどっちを選ぼうとも、針地獄か血の池地獄かみたいなことだったのかもしれないし、それはわからないが。昼間幼女たちが遊んでいたプールはすっかり闇の中だった。変質者がその水を飲もうと息を潜めるにはピッタリだろう木々とその陰を横目にまた歩く。歩く。歩く。そうして陸橋をすぎたあたりで、ようやくシャトルバスに乗る人と電車に乗る人を分かつ案内が。左がシャトルバス、右が電車。どちらも先が見えないほどの列がすでに出来上がっている。電車側の方が少し列が長く、やはりバスを選んだのは正解だったんだ!と思いつつ待つ。待つ。だが、待てど暮らせど列が進まない。進んだと思ってもほんの数メートルだ。乗り場さえ見えない時間がそれなりに続き、ようやく見えたと思ったら、今度は待機しているバスが見えない。行ったバスが戻ってくるのを待っているのは分かったが、最低でも往復40分〜60分はかかるはずで、何台のバスを走らせているのかもわからない状態に、もう少しでバスに乗れるという心のよりどころを失った私の中で、疲労がどんどん膨らんでいく。そんなころ、メールの着信。開いてみると海ノ中道でのコンサートを終えたばかりの草場さんからのメールだった。引用してみる。

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明日は明日の君が生まれる”の歌詞に
”地平線の向こう側にまだ見ぬ世界”って
いう歌詞があるんだけど

ホントにその通りで
このペンライトの海は
どこまで続くんだろう?って
思った…

素敵な景色だったなあ

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読み終えるか終えないか、私は「D1までだよ」と呟いて、自分でつい笑ってしまった。D1は地平線の彼方、この世の果てだった、と改めて思った。スマホから目を離してあたりを見回す。私がいる場所は高台になっていて、緩い下り坂が緩いカーブを描きながら待機列を伸ばして、待機列の先頭付近にある眩しいほどの外灯が、ヲタクの疲れた姿を闇に浮かび上がらせていた。あぁ、あの角に行くにはあと何台のバスが来ればいいのだろう。慰めが欲しくて数えてみても、バスはなかなかこない。と、バスのチケットをもぎるスタッフさんの中に、素敵なショートカットの人を発見した。私はその人をガン見した。まさかこんな高い位置から見られているとは思いもしないだろう。それをいいことに私はそのお姉さんを見続けた。慰みは多いほうがいい。ポツポツとバスが着始め、何十人かの難民のようなヲタクを詰め込んでは出て行く。このままガス室に連れて行かれるとしても不思議はない、そんな雰囲気だった。気が付けば電車で帰る人たちの列はなくなっていた。待てど暮らせどやってこないバスに業を煮やして電車に切り替えようと列を離れていく人ももういない。きっと終電がいってしまったに違いない。いよいよバスを待つしかなくなった、そんな状況がより不安を掻き立てる。本当にバスは来るのか?来るにしてもいつ私は帰れるのだろう?少しずつ、少しずつ進んで、ようやくカーブ。外灯の光が目を直撃して、まるで白昼夢を見ているかのような、非現実的な気持ちにさせた。疲労はもうすでに限界近く、体は一歩あるくのもつらいほどにズシリと重いのに、どこかふわふわする。あと少し。もう少し。あと数台くれば乗れる。その安心感がふっと心を緩めたのか知らないが、近くにいたヲタの呟いた「D1の虐げられっぷり」という言葉がぼんやりした頭の中に響いた。言い回しは少し違ったかもしれないが、虐げられた、というその表現はまさにぴったりで、それが忘れられない。それから夢の中の夢のような鈍い時間をいくらか過ごして、ようやくバスが来た。終演してから2時間半くらい経って、ようやくだった。バスは快調に飛ばし20分くらいで天神あたりへ。そこから歩いて地下鉄に乗り、博多駅に着いたのが23時30分前。日曜の夜なのでどこも店じまいが早く、結局ファミマに寄り、ファミチキとチューハイを何本か買ってホテルにほとんど気力だけで辿りついた。ホテルのロビーに金魚すくいが置いてあってそれをしたかったけど、疲れすぎてて無理だったのでさっさと部屋に入った。あとはまあシャワー簡単にあびて酒飲んで寝た。まる。翌朝たんやで朝食たべた話とかあるけど、もういいや。とりあえずこんな感じで、D1ブロックはこの世の果てでした。それが伝わっていればいいなと思います。


おしまい。