長いだけのしょうもない話


ヲタの在り方とはヲタならば誰しもが悩むことかもしれない。あるいは、その悩みにぶち当たっている人にクビをひねったり、そういうことじゃないんだけどなぁと思ったりする人もいるかもしれない。なんにせよ、ヲタの在り方、応援の在り方というのは、誰かのヲタであるかぎりは付きまとう問題だし、見るか見ないかは別として常に周囲に漂っているものなのだと思う。

大堀めしべ、ソロCDが一万枚売れなかったらAKB48卒業。
こんな企画がもうすぐ終わりを迎える。時間は非情だ。結果がどうであろうと必ず終わりはやってくる。売上枚数は現在7200枚なんだそうだ。残り数日で2800枚近く売り上げなければ、卒業。
卒業とは、ある環境下に置かれていたものや人が、新たなるステージに移るためのステップとして存在していて、そしてそれは本来ならばめでたいものであるはずだ。だがしかし。今回の卒業はどうだろう。違うと言い切ってしまってもいいように思う。
お前らヲタならなんとかしてみせろとヲタの力を試されているような、ひとりの人間の望まない卒業をかけたゲームを展開されているようなそんなモヤモヤがある。そこでふざけんなこんなのにノれないと突っぱねるのもいいだろう。苦笑いでやりすごすのもいいだろう。こんなやり方に納得できないと烈火のごとく怒り狂うのもいいだろう。従順にCDを買うのもアリだ。私はCDを買うことを選んだ人間で、だがしかし、たったの数枚しか買えていない。

AKB48は会いにいけるアイドルというコンセプトのもと始まったプロジェクトだけれど、そのシステムは本当に露骨だ。会いに行く為には金がいる。たくさんの金を出したものがメンバーにより近付ける。わざと乱暴に書いたけれど、このことはAKB48の世界を少しでも見た人なら分かるだろうと思う。TVで見て応援するだけの人、自分の好きな曲だけCDを買う人、ラジオを聞く人、シアターにたまに通う人、コンサートに行く人、こんな感じでおおよそ通常のお金の使い方をしている人だってヲタはヲタだし、一人のヲタの命は地球の重さと同じだから蔑ろにしちゃダメよなんて言っていたいけれど、でも、それは綺麗事なのかもしれない。現実、AKB48の世界ではそうは行かない場面が多々あって、本当に乱暴だけれど、金を使えば使うほどメンバーと「同じ空間に存在できる」=「会える」ようになる。だからAKB48はキャバクラみたいだといわれていたりするようだけれど、だからといって私は彼女たちの能力や努力が素人レベルというかお遊戯レベルだとは絶対に思わない。なんだか話がズレました。元に戻します。
めしべさんのこの企画を聞いたときに、ヲタモダチと話していたことがあって、これが冒頭につながる、応援の在り方、ということ。応援というのはさっきもいったけど色んな形があって、どんな応援も応援で、そしてヲタは本当にそれでいいのかと常に自問し続けている(そうじゃない人もいるだろうけど今回はそれは除いて)。お金を使えば、なるほどたくさん会える。「でもそれは”純粋な応援”なのだろうか」「いや、それでいいんだよ、そのお金が結果として彼女たちの活動資金になっているのだから」「むしろそっちの方がいいに決まっている」「だけれどTVで見て可愛いなぁって思うだけじゃだめなのかい」「それがダメなら応援ってできなくなっちゃうんじゃないのかな」とか。自分の好きな人が喜んでくれることをしてあげたい、自分の好きな人が元気になれるようなことをしてあげたい、傲慢だけれどこれが応援の源泉なような気がするので(少なくとも私にとって)、じゃあ今度はどういう形が一番喜んでもらえるのだろう、悲しませないのだろうと考えたら、やっぱりCDを私は買うしかないんだと思った。ヲタはいつも許されていて、どんな結論やそれに基づいた行動をとっても「応援しているから」という言葉で多少は目を瞑ってもらえる場合が多い。だからこそ応援とは如何なるものかと自問してしまうことになるのだけれど、今回は、はっきりと形が提示されている。ヲタならばCDを買え、と。それって世界は日本とそれ以外の国で出来てるって言ってしまう位に乱暴なくくり方なんだけれど、逆に言えば、CDを買ったなら自分も役に立てたのかな、応援を実践できてるのかなという気分になれるということだ。結局ヲタの応援なんて自己満足にすぎないっていうのが私の基本的な考え方なんだけれど、それでも「ありがとう」と言ってくれる、めーたんやアイドルがいるから、ヲタは応援を続けるし続けられるわけだし、実際問題として金銭面でヲタが多くを助けているわけだから、そんなに卑屈にならなくたってって話だけれど、ここで言いたいのは、だから、そのアイドルがかけてくれた「ありがとう」を大切にしていけたらいいよねってこと。疑うことは簡単で信じることはとても難しい。疑うことは、自分の弱さに気付かないフリをして相手の弱さを探す行為で、信じることは相手の強さを見つめながら自分の強さを見つけようとすることだからだ。なんかええこというてるんちゃうのん。それはいいとして。
で、上につらつら書いているけれど、なんかいま読み返して思うのは、別にCDをたくさん買う人が偉いってことじゃなくて、偉い人になりたくない残念な人になりたいよ、は私だけですが、CDを買うことによって応援させてもらえる、応援してると自己満足を得られる機会を与えてもらって本当に嬉しく思うということ。本当に私個人の話なんだけれど。